9mmゲージ製品が登場してから程なく、日本でもこの規格の鉄道模型を製品化しようとするメーカーが現れました。
1963年頃、富山(後のトミー)がローンスター社製「Treble-O-Lectric」シリーズを参考にした「高級電気玩具 OOO(スリーオー)ゲージ 新幹線 夢の超特急セット」を発売しました。
新幹線3両編成に線路と電源装置を加えたセットで、当時としては画期的な電気玩具でしたが、実験的なものであってそれ以上の展開はありませんでした。
1964年、ソニーが「ソニーマイクロトレーン」のブランド名で一般家庭まで流通可能な鉄道模型の量産を計画しましたが、当時のソニー社内の事情により、計画は中止となりました。
1965年、関水金属[1](KATO、カトー)によって、射出成型によるプラスチック製車両や線路が発売されました。
日本では、1960年代から1970年代初頭まで、百貨店や模型専門店などの売り場では、西ドイツ(当時)のアーノルト社の「ラピード」やTRIX社の「ミニトリックス」、イタリアの「リマ」等、日本国外の車両の製品が多数販売されていました。
当時は日本型車両の製品も限られていたため、最初期にNゲージを購入した愛好者は日本国外の車両の製品を日本型に見立てたり、あるいは無国籍風にしていました。愛好者のなかには改造や自作により製品にない形式を製作する者も現れ、模型雑誌での作品の掲載を通してNゲージの車両工作も徐々に浸透していきました。
日本製の9mmゲージ製品が本格的に市場流通したのは、関水金属製品が初めてであり、1965年は、日本におけるNゲージの創始として語られることが多く、また、後に参入したメーカーは、関水金属の規格に倣って製品を設計したため、関水金属の規格が日本におけるNゲージの標準規格となりました。
1968年から1970年にかけて、それまでメーカーによって異なっていた連結器(カプラー)を統一する動きが発生し、日米欧のメーカーで協議を行った結果、西ドイツ(当時)のアーノルト社のラピードカプラーが採用されました。
日本において、ラピードカプラーはアーノルトカプラーと呼ばれています。
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